どこにでもある【うつ】の原因、でも・・・
投稿日:2009年07月20日月曜日 08時00分00秒
投稿者:たわだ社会保険労務士事務所 カテゴリー: General
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家庭問題でうつ状態 身近な「夢」に支えられ
7月17日15時42分配信 産経新聞
東京都内の一流ホテル宴会部に勤務する西村恵さん(23)=仮名=は、主にVIPの接待を担当している。
「社会を動かす立場にある人たちの人柄を垣間見られ、人と話すことが好きな私にはやりがいがあります」
優しげなほほ笑みと、はきはきと話す姿が印象的な女性だ。
夢をかなえた西村さんだが、就職活動中に家庭問題から鬱(うつ)状態となり、「死にたい」という思いを抱えたことがある。
高校2年生のとき、両親が離婚。経済的負担から大学進学をあきらめ、就職率がほぼ100%というホテルの専門学校へ進学した。
▼離婚後も…
亭主関白で人にも自分にも厳格な父だった。
気に入らないことがあると、子供たちにすぐ手を上げる父が許せず、母が早く離婚すればいいと思っていた。
父は中学生ごろから十分な生活費を入れなくなったため、母はスーパーと飲食店のパートを掛け持ちし、朝から深夜2時ごろまで働いていた。
やっと離婚が成立し、母は祖父母と郊外の一戸建てを買い、一家の楽しい暮らしが始まるはずだった。
しかし、母と祖父母は家計のやり繰りから料理の味付けにいたるまで日常的に対立。
家族関係の険悪化で、妹は引きこもり、弟も小さな非行を繰り返すようになった。
「そんなことでもめないでって思った。本心では、家族は一緒にいるものだと思っていたから、余計につらかったのかもしれない」
2年制の専門学校では、1年の夏休みから早くも就職活動が始まっていたが、前向きになれなかった。
「幸せになるためにお金がほしいって思っていたのに、お金のせいで家族がぎくしゃくするのなら、私はいらない」
2年生になり、祖父母と西村さん家族は、別々の生活を考え始めた。そのころから、自分の異変に気付き始める。
「学校へ行ったら楽しいのは変わらないのに、朝、起きられないの。夜も眠れず、明日が来るのが怖かった」。
学校を休んでは自己嫌悪に陥った。
自分は鬱かもしれないと思い、誰かに話を聞いてもらいたかったが、「あなただけが頼りだから」と言っていた母、問題を抱える弟や妹…。
しっかり者を演じている自分が「病んでいる」とは言えない状況だった。
その夏、思い切って心療内科に足を向けた。話を聞いてほしいとの思いは裏切られ、睡眠薬を処方されただけだった。
再び思い悩む日々が続いた。
▼葛藤の日々
「内定は出ないし、家庭はうまくいかない。死んだらどうなるんだろう」と心が沈む日もあれば、「人生うまくいかなくてもがき苦しんでいるけれど、それって生きていくってことじゃん」と自分を俯瞰(ふかん)する日もあった。
「死」を求める“マイナスの自分”と、自らを励まそうとする“プラスの自分”が葛藤(かっとう)していたのだと思っている。
このままマイナスの自分が強まることに危機感を覚えた。
そして、ある気分の明るい日、日記の裏表紙に「死ぬ前にやりたいことリスト」を書き連ねてみた。
▽ディズニーランドの一番高いホテルに泊まる
▽せっかく女性に生まれたんだから、子供を産む
▽家族に幻想は持てないけど、結婚、家庭を持ちたい
▽応援しているインディーズバンドのワンマンライブ
思いつくまま下書きを重ね、お気に入りのペンできれいに彩った。
それから、つらいときにリストを眺めると「まぁ、もうちょっと生きていてもいいかな」と少しだけ心が楽になった。
「手の届きそうな夢を書いているうちに、まだまだ死ぬには早い、本当は自分は生きたいんだって気付いた。それに、夢を実現するにはやっぱりお金を稼がなきゃと思ったんです」
今、マイナスの気持ちが勝ってしまいそうな人に伝えたい。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「自殺なんかしちゃダメ。だって本当は生きたいんだもん」
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家庭問題でうつ状態 身近な「夢」に支えられ
7月17日15時42分配信 産経新聞
東京都内の一流ホテル宴会部に勤務する西村恵さん(23)=仮名=は、主にVIPの接待を担当している。
「社会を動かす立場にある人たちの人柄を垣間見られ、人と話すことが好きな私にはやりがいがあります」
優しげなほほ笑みと、はきはきと話す姿が印象的な女性だ。
夢をかなえた西村さんだが、就職活動中に家庭問題から鬱(うつ)状態となり、「死にたい」という思いを抱えたことがある。
高校2年生のとき、両親が離婚。経済的負担から大学進学をあきらめ、就職率がほぼ100%というホテルの専門学校へ進学した。
▼離婚後も…
亭主関白で人にも自分にも厳格な父だった。
気に入らないことがあると、子供たちにすぐ手を上げる父が許せず、母が早く離婚すればいいと思っていた。
父は中学生ごろから十分な生活費を入れなくなったため、母はスーパーと飲食店のパートを掛け持ちし、朝から深夜2時ごろまで働いていた。
やっと離婚が成立し、母は祖父母と郊外の一戸建てを買い、一家の楽しい暮らしが始まるはずだった。
しかし、母と祖父母は家計のやり繰りから料理の味付けにいたるまで日常的に対立。
家族関係の険悪化で、妹は引きこもり、弟も小さな非行を繰り返すようになった。
「そんなことでもめないでって思った。本心では、家族は一緒にいるものだと思っていたから、余計につらかったのかもしれない」
2年制の専門学校では、1年の夏休みから早くも就職活動が始まっていたが、前向きになれなかった。
「幸せになるためにお金がほしいって思っていたのに、お金のせいで家族がぎくしゃくするのなら、私はいらない」
2年生になり、祖父母と西村さん家族は、別々の生活を考え始めた。そのころから、自分の異変に気付き始める。
「学校へ行ったら楽しいのは変わらないのに、朝、起きられないの。夜も眠れず、明日が来るのが怖かった」。
学校を休んでは自己嫌悪に陥った。
自分は鬱かもしれないと思い、誰かに話を聞いてもらいたかったが、「あなただけが頼りだから」と言っていた母、問題を抱える弟や妹…。
しっかり者を演じている自分が「病んでいる」とは言えない状況だった。
その夏、思い切って心療内科に足を向けた。話を聞いてほしいとの思いは裏切られ、睡眠薬を処方されただけだった。
再び思い悩む日々が続いた。
▼葛藤の日々
「内定は出ないし、家庭はうまくいかない。死んだらどうなるんだろう」と心が沈む日もあれば、「人生うまくいかなくてもがき苦しんでいるけれど、それって生きていくってことじゃん」と自分を俯瞰(ふかん)する日もあった。
「死」を求める“マイナスの自分”と、自らを励まそうとする“プラスの自分”が葛藤(かっとう)していたのだと思っている。
このままマイナスの自分が強まることに危機感を覚えた。
そして、ある気分の明るい日、日記の裏表紙に「死ぬ前にやりたいことリスト」を書き連ねてみた。
▽ディズニーランドの一番高いホテルに泊まる
▽せっかく女性に生まれたんだから、子供を産む
▽家族に幻想は持てないけど、結婚、家庭を持ちたい
▽応援しているインディーズバンドのワンマンライブ
思いつくまま下書きを重ね、お気に入りのペンできれいに彩った。
それから、つらいときにリストを眺めると「まぁ、もうちょっと生きていてもいいかな」と少しだけ心が楽になった。
「手の届きそうな夢を書いているうちに、まだまだ死ぬには早い、本当は自分は生きたいんだって気付いた。それに、夢を実現するにはやっぱりお金を稼がなきゃと思ったんです」
今、マイナスの気持ちが勝ってしまいそうな人に伝えたい。
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