言っておくが、すべての人をないがしろにしている
わけではない。

行政にしても、社労士にしてもいい人には紳士的に接する。

むしろ、年上の先生には実に私は優しい。
それが証拠にほとんど、客先を奪ったことがない。

だから、うちの事務所は貧乏なのだ。
皆は誤解している。

奥田義孝や、伊藤幸代、弁護士の水中などに
きつくあたるのは、彼らが付け上がっているからだ。

行政にしてもそうである。
権限を振りかざして、
法律だのへ理屈を述べても
今の民間会社は大きく乖離している。

中小企業の経営環境は実に厳しい。

時代錯誤しているから
このやろうというわけだ。

美輪明宏さんもいじめには
毅然とした態度でよいといわれている。

もちろん、長いものには巻かれろという
考え方もあるが、それでは悪が付け上がるだけだ。

教わる以前に僕は当たり前のことをしただけだ。

負けて勝てるならいいが、勝てない以上
争うことも時には必要である。

行政は権限規定をたてにして決して
事務組合は作らせない。
要件に該当しないものは認めない。
それが行政というところだ。

それでは、同業者が理解を示して
どこにも行き場のないものを
受け入れてくれるだろうか。

その答えはノーである。

そうしないと、悪いやつが付け上がるだけで
また、犠牲者が出たり、ろくなことにならないのである。

だから、勝ち目はなくとも争う。
それが男の生きる道である。

この国には言論の自由はあるのだから
おかしいものはおかしいという権利がある。

私の親父はお前は昔からもませるのが好きだ。
親戚の一件から言うのであるが、
親世代がはっきりカタをつけてくれないから
こんなことになっただけだ。

むしろ、火中の栗をひらわされた
被害者といえるのだ。

今回のことも、どうでももめさしてほしいのであるから
黙ってハイそうですかではすまないということ。

首を絞められたら、首を絞めさせないようするだろう。

そして隙を見て反撃する。
そうしないと殺されるのだよ。
そう、考えたら私の無鉄砲な行動も致し方なしということになる。

腰抜け、ちんこもげは理解できまいがね。

そういうやつは、同じ目にあっちたら、さっさと死ぬしかない。
殺されるにしても、相手にもダメージを
与えないと腹の虫が収まらない。

大人気ないもくそもない。

私の望みは、なんの文句も言わなくても
金は儲かる、思うようになるだが
そうはならない。
何も、もませたいわけではない。

おかしいことはおかしいと
当たり前のことを主張しているに過ぎないのである。

どの業界でもおかしな所はあるが、
負けて勝てるなら争わない手もあるが、
負けて勝てる見込みはない。

私の支持者はいたとしても
ともに行動したがらないのであるから
憤死しょうとももできるだけ長く相手を
苦しめる以外、方法はない。

大阪冬の陣、夏の陣の真田幸村には
真田の生き方しかできぬ。

負けはしたが、名は残した。

篭城には限界がある。

ただ、城をうかつに攻めたら
痛い目にあわせてやるくらいはできる。
援軍は望むべきもないが

簡単には落城はしない。
そういうことだ。
一寸の虫にも五分の魂である。

大塩平八郎の乱というのは
ただの米騒動ではなかった。

実は武家の怪しげなお金調達の陰謀があった。
また、幕府の期限を取り出世したかった。

米のも経済から貨幣経済に移り
武家は体面を保つため
商家から金を仮まくった。
今の国政と似ているだろう。

藩政の建て直しと袖の下のという構想があり
大塩はそれを憂っていた。

町奉行などに話を上げたが無視された。
それで、たよりとする島津斉彬にむけて
密書を送り、幕政改革をしてもらおうと画策していた。

ところが、江戸ではまたまた、握り潰しだが、
これは、天にさばいてもらおうと天に投げたのである。

今私がしていることはまさにこれと同じだろう。
大塩の密書は送り返され、箱根山中で破り捨てられた。
ところが、心あるものが見つけ出し
張り合わせ今も残っています。

真相は、それぞれ、上のものはやばいと思い
握りつぶした。だから大塩は天に投げたのだ。
大塩は決して間違っていない。

江戸の昔から現代も
全く、その構造は変わっていない。
実に情けない話だと思いませんか。
ことなかれ主義のなれの果ては
現在の政治にもよく似ています。

個人の利益を確保できたものは
まだいいが、できなかったものは
実に悲惨な話だ。

これはミュージカルマリーアントワネットより
僕の歌で。
カリオストロ伯爵の
「幻の黄金を求めて」
この曲の通りだ。
山口祐一郎さんといい勝負だ。
ぜひ聞いてほしい。

http://www.no-tenki.jp/moboroshi.mp3