私はそう思う。神様は悪いことをするために知恵を与えたわけではあるまい。

誰のことを言いたいかは解るだろう。
もちろん、奥田義孝、伊藤幸代、弁護士の水中などだ。

社労士会にも悪巧みしたものはいるが
今更謝ってもらつて済む問題でもない。

いくら、お金をくれたとしても、過ぎ去った時と人は戻らない。

また、某先生がいかりまくるかもしれんが
僕はそう言うつもりはない。
法的措置を取られてもないものはない。

何も取れはしない。

もはや生活の見込みは全く立たなくなったのてあるから
すでに破たんしているのだがね。

来年までもつかどうか不明だ。

元生徒のところか、大先生の居候程度しか
社労士としては生き延びられまい。
ところが、彼らは嫌がるだろう。
だから、どうにもならない。

今朝の声だけの夢は、できるだけ長く面倒を見て欲しい
多分僕客先の偽らざる心境だろう。

僕なら保険料でやかましく言わないし
顧問料も高くない。おまけに役所からかばってくれる。
こんな先生も珍しいからな。

失ってみて初めていい先生だったと
理解できるくらいだろう。

いいことのために頭は使うのであって、
訴訟だの追い出しだのそういうことのために
頭は使うようにはなってない。

今回のこともやむなしである。

降りかかった火の粉は払わなくてはならんので
仕返しをするのであって
こちらから、相手をはめようとしたことなど
一度もない。

もちろん、義から客先のため
役所を煙に巻いたことがあるが、
それは弱いものを守るためである。

役所からしたらろくでもない奴だが
客先からしたら実にありがたいといったことだ。

さてさて、気が重いがどうでも悪い奴らに
それなりの制裁を与えなくてはならぬ。

仕事が多すぎて、訴状なども書けない。
それ以前に、モーレツに頭が痛くて今日は寝ていた。
高血圧もあるが、どうもカゼのせいかもしれぬ。

悪い奴がさんざん客先を壊して歩いている。
おまけにハイエナまでうろついている。
こまったものだ。

某社長が電話でクレームを言うが
あんたのせいだと言うが、金をくれないと
書類は書かんよ。

そういうのの押し問答までしたのであるから
疲れ果てたというのもある。

ピーターフランクルの夜と霧みたいに
アウシュビッツ強制収容所のユダヤ人
みたいに悲惨なことになつてしまつた。

希望がないものは死んだ。

まず、ナチスの将校が右か左か決めた。
指の動きでだ。

右に行けば強制労働
左に行けば即殺された。

助かったものも希望を失ったものは死んだ。
そこで、寝たまま起きないやつ死んだ。
酒やたばこ等快楽に走ったものも死んだ。

生き延びたのは、希望を持ったものや
神様に祈りをささげた者
歌を歌ったものなど
何らかの楽しみを持った者だけが
生き延びたのだ。

だから、ミュージカルに走る等怪しからんというやつは
俺を殺したい奴ということになる。

それゆえ、教わらずとも私は極限を今まで生きてこられたのだ。

言いたいことを言い。したいようにしてきた。
だから生きてこれたのだ。

もちろん、自殺を試みたこともあるが
死ねなかった。
だから生きているだけである。

そんなに、世間の人が考えるほど
僕は楽はしていない。

むしろ、次から次へと困った人が来ては
助けてくれと無理難題その方が多かったぜ。